夢と知りせば醒めざらましを

楽しいこと全部、私のもの

照れくさいから、心に思うよ


タイガー&ドラゴンの(何度目かの)再放送で岡田准一にオチてから気づけば2年が経っていた。


私は今年20歳になった。つまり私の人生の1割を岡田准一もといV6が占めている。V6は今年デビュー20周年を迎えた。つまり私はまだV6の1割しか知らない。


2年前と変わらないこと。岡田准一が好きだということ。


2年前と変わったこと。岡田准一が好きだと思う瞬間。


2年前、岡田准一にオチたばかりの私は、彼のやる事なす事にいちいちかっこいいかっこいいと言っていた気がする。今思い返すと純粋すぎて気持ちが悪い。


けれどいつからか私は岡田准一に対してかっこいい、素敵、好きとさえも言えなくなった。彼がかっこわるくなったわけでも、素敵じゃなくなったわけでもない。もちろん好きじゃなくなったわけでもない。


今でも変わらず、というかますます、かっこいいなと思うこともあるし、素敵だなと思うこともあるし、好きだなとも思う。けれど今の私の口からはそれらの言葉は出てこない。うすっぺらく聞こえてしまう気がするから。


ただ かっこいい なんじゃない。ただ 素敵 なんじゃない。ただ 好き なんじゃない。私の伝えたいかっこいい、素敵、好きはそんな単純じゃない。


気持ち悪い、変態、頭おかしい。私が岡田准一に向けてよく使う言葉。不快に感じる方もいるかもしれない。けれど私にとってこれらの言葉はかっこいい、素敵、好きって言ってるのとなんら変わらない。むしろ 気持ち悪い は 好き の最上級だとさえ思ってる。


もし今誰かに、「岡田准一のどこが好きなの?」って聞かれたら、『気持ち悪いところ』って答えると思う。意味わかんないって言われるかもしれない。意味わかんなくていい。説明したところで意味わかんないと思うから。


以前、八乙女担の千紘さんがブログでこんなことを書かれていた。

 ギャップには必要なものが二つあります。それは「ズレ」を作る「肯定」と「否定」です。私にとってその「肯定」は「パブリックイメージ」。そして、その肯定を自分なりに集めた情報を組み合わせた理論で「否定」し、「ズレ」を生み出すことが、私の光くんの愛し方です。
 主にパブリックイメージとなっているのは「かっこいい八乙女光」です。(中略)私は「可愛い八乙女光」をもって、その肯定を否定しています

八乙女光が「ひかにゃん」になるまで(はじめに)~3年前に書いた手紙~ - 過激なレプリカ


岡田准一のパブリックイメージが「かっこいい」なら、私は「気持ち悪い」で否定したい。つまり、世間的にはかっこいい岡田准一の気持ち悪いところを愛していたい。


今年はそんな岡田准一の気持ち悪いところが世間に知られてしまう機会も多かったように思う。福士蒼汰に壁ドンされて喜んでたりとか、伊野尾ちゃんにかわいいって言いまくってたりとか。おかげでいろんな人に「岡田くんってかっこいいけど変だよね」「オカダってたまに気持ち悪い時あるよね」などとさんざん言われた。良かった。世間的にはまだ かっこいい岡田准一 が十分顕在していた。それでいい。気持ち悪さまで愛しいと思えるのはわかる人だけわかればいい。


ジャニオタなら誰しも担当に対して、誰にも理解され得ない絶対領域、みたいなものを持っていると思う。それが支えになって、担当と呼べる確固たる自信になっているんじゃないかと思う。ただかっこいいだけじゃない。ただかっこいいだけじゃ、担当にできない。いろんなものを犠牲にしてまで、好きになれない。


ただかっこいいだけじゃ、この2年間を乗り越えられなかったと思う。2年間、岡田准一の容姿はめまぐるしく変わった。髭をたくわえたり、髪の毛を剃ったり、カツラをかぶったり、取ったり、マッチョになったり、髭を剃ったり、また生やしたり、せっかく伸びてきた毛をまた切ったり、太ったり。私が好きになった彼の姿なんてもう思い出せないくらいに。それでも一度も醒めなかった。容姿が変わるたびに賛否両論あったけど、正直私はそんなに気にならなかった。というか役をやる上で必要なら仕方ないと思った。むしろアイドル的にギリギリのラインまで果敢に挑戦する異端児っぷりというか問題児っぷりは応援したくなるくらいだった。それくらい本気で役に取り組んでる真面目な姿勢がわかってますます好きになっていった。どんなに容姿が変わっても、元の顔は変わらないから元の表情も変わらなかったのも大きいのかもしれない。


そんな風に役にのめり込んでいく彼を見ていると、役者という仕事が好きなんだということが痛いほどわかる。それに気づくと同時に、V6岡田准一のファンでもある身としては胸が痛むこともある。私たちの存在が、彼のやりたいことを妨げてしまっているのではないか。私たちがいなければ彼は自分の好きなことだけをやっていられるのに。けれどそんな考えはコンサートで目の前で彼を見たら消えてしまった。だってあの会場で、1万人の中で、誰よりもはしゃいで誰よりも楽しんでいたのは彼だったから。言葉にも救われた。「こんなゴリラみたいになっても応援してくれてありがとうございます」「V6に入れてよかった」。 あの瞬間、V6岡田准一のファンでいてもいいんだよって言ってくれてるような気がした。


今年の2月に彼はアカデミー賞を受賞した。きっと今が一番俳優として求められてる時期だし、本人も俳優として成熟したい時期なんだと思う。加えて、外野からは「岡田はV6を抜けるべきだ」なんて声が幾度となく聞こえてくる。そういうのを全部跳ね除けて、今年はV6の20周年に多くを捧げてくれたことがたまらなく嬉しい。社会的には「V6を抜けるべきだ」って声が強いのかもしれないし、きっと関係者にも「やめた方がいい」って思う人もいて、直接言われたこともあるのかもしれない。もしかしたら「やめないで」って思ってるのはかなり少数派なのかもしれない。それにも関わらず私達のために時間を割いてくれたことがたまらなく嬉しい。


だけどいくら今年V6として精力的に活動してくれたからって、彼の中で今一番やりたいことはやっぱり俳優業なんだと思う。今年はたくさんアイドルしてくれたから来年は思う存分俳優業に徹してねっていうのが岡田准一ファンの正しいあり方なのかもしれない。けれどV6のファンでもある私は、やっぱり今年もアイドル岡田准一を見たいと思ってしまう。


いつかの雑誌のインタビューで彼は「まだV6の仕事と俳優の仕事のバランスが取れないだけで、慣れれば両立できるようになると思う」みたいなことを言っていた。この発言は一種の覚悟ともとれる。V6岡田准一と俳優岡田准一を両立しようという覚悟。彼のためにも、そして私たちのためにも、早くそうなればいいなと願ってる。でもきっとそんな簡単なことじゃない。だから気長にそのいつかを夢見て待っていたい。その前に、私もV6岡田准一と俳優岡田准一の両方のファンとして両立できるようにならなければならない。


私はいつまで岡田准一のファンであり続けるんだろう。きっとこの先、就職、結婚、出産、等人生の大事な場面でこの問題にぶつかるんだと思う。でも今はまだそんなこと考えたくもないし考えてる余裕もない。そんなことは机の上に山積みに置かれている過去20年分の雑誌記事と、過去の出演作を全部見終わってから考えたい。そういえば今年のコンサートのパンフレットもまだ読み終わってなかった。まだまだしばらくは岡田准一のファンでいられそうです。


ところで、というかここに来てようやく本題に触れます。


35歳おめでとうございます。
20歳の頃憧れていた36歳まであと1年ですね。
今年一年の活躍も楽しみにしています。