夢と知りせば醒めざらましを

楽しいこと全部、私のもの

ジャニオタと運と神様の話


ジャニオタになってから一番変わったこと。事あるごとに神の存在を信じるようになったこと。今までのオタク人生でもそれなりに運の重要さは感じてきたけれどジャニオタはその比じゃなかった。コンサートはもちろん、番組協力、各種イベント、その他懸賞など。とにかく「神様お願いします」って場面が何度もある。


芸人を好きだった時代が長いのでよく比較してしまうのだけれど、まずチケットが取れないなんてことがほぼない。チケットが完売することもほぼない。開演直前でも余裕で取れる。チケットを取るために神様を利用したことなんてほぼなかった。


けれどジャニーズの場合、まず「神様私にチケットをください」から始まり、チケットが取れたら今度は「どうかこの私めに良席を」、今のところ良席に入れた事がないのでここからは想像だけど、最終的に自担を神に置き換えて「神様、私に微笑みかけてください」ってなるんだと思う。


このようにオタク活動を充実させるためには常に神様を頼らなければならない。同時に、常に報いを受けるに値する苦しみを味わう必要がある、と私は考えている。逆に言えば、苦しいことを我慢して続けていればいつかきっと神様が微笑みかけてくださると思っている。苦あれば楽あり、楽あれば苦あり。ジャニオタを自覚してからというもの、この言葉を信じてきた。


私にとっての苦は、主にバイトである。2年の前期は週4でバイト、週4で授業、週2でサークルという過密スケジュールを送っていた。約3ヶ月間、1日たりとも一歩も家から出ないという日がなかった。そのため1週間が区切れない日々が続いた。おうち大好き出不精人間からしたらこんなに辛いことはなかった。けれど「頑張ればきっと神様が見ててくれる」という想いだけで3ヶ月乗り切った。我ながらドMなんじゃないかと思う。実際、20周年イベントが当たったり、コンサートチケットを当てたり、24時間テレビの観覧が当たったりとそれなりの報酬があったので、私の中で「頑張れば神様が見ててくれる」という考えは信憑性を高めつつある。


夏休みに入ってからはバイトとサークルでそれなりにスケジュールが埋まってたにも関わらず、インターンを追加し、自分を追い込んだ。案の定辛かったけれど、辛いと思えば思うほど「神様(以下略)」と思えてがんばれた。自分でも割とやばいところまで来てるなと思う。こんな生活正直辛いけど、充実してるなとは思う。家で無駄な時間を過ごすくらいなら、大げさかもしれないけど少しでも社会貢献して金稼いだ方がよっぽど有意義だと思えるようになった。過酷スケジュールをこなすことで、自分の成長を実感しつつもある。ジャニオタにならなかったら絶対至らなかった考えだと思う。


次いつ報われるかなんてわからない。わからないけど私は常にそのいつかに夢見てる。そうすれば報われた時に「今まで頑張ってきたから」と理由づけられる。理由のない報酬は怖い。頑張ってもないのに報われるなんておかしいと思う。そのあとに何かとんでもない苦しみが待ってるんじゃないかと思えてしまう。伏線を張っているのかもしれない。目に見えぬ苦しみを受けるくらいなら先に自ら苦しみを作ってしまえと。


信仰の甲斐あってか、今年は現時点で5回、V6の現場(イベント、観覧含)に立ち会える機会を得ている。これが頑張りに見合った報酬かはわからない。割合でいうと約50日働いて1日現場、と言ったところだと思う。時間にすると約100時間働くと1時間会える。我ながら引く。


傍からしたら割が合わないように見えるかもしれない。自分でも馬鹿だと思う。ほんのわずかな楽しみのためだけに何十倍も、何百倍もの時間、働いてるなんて。でも、数字なんて関係ない。たった1日の、たった数時間の現場がどれだけ励みになるか、どれだけ退屈な毎日に光を与えてくれるか、ジャニオタならずともオタクと呼ばれる分類の皆さんならわかっていただけると思う。1つの現場の価値の大きさを知っているから皆、必死になってその参加権を得ようとするし、結果に一喜一憂する。私の場合、当選した時はそれまでの頑張りを回顧しつつ神に感謝し、落選した時は1つ次への運を貯めたのだと信じ、また頑張ろうと思える。単純かつポジティブ。神を信じるだけで毎日明るく生きることができる。


ここまで読んできて、「ふざけんなこっちはお前より頑張ってるのに当たらねえんだよ」と思った方もいるかもしれないし、私自身、自分は辛い思いしているから報われるのは当然だなんて勘違いはしていない。そもそも勝手に神を信じているだけで、全ては偶然なのかもしれない。でも、神の存在を肯定するだけで私が今まで頑張れたのもまた事実。昔から人々は、神にすがることで苦しみから逃れようとしてきた。悪く言うと、神を都合よく利用してきた。人間がどんなに自分勝手に利用しようと神様はいつでも受け止めてくれる。だから神様は今も昔も愛されてきたし、信じられているんだと思う。


神を信じるかどうかは個人の勝手だと思う。けれどこれだけは断念できる。なんの努力もせず、苦しみも味わわずにいい思いをしてる人なんていない。逆に言うと、努力してる人や苦しみに耐えている人はいつか必ず報われる。そう考えるだけで誰でもきっと意識が変わって明るくなれる。信じるか信じないかはあなた次第です(言いたかっただけ)。