夢と知りせば醒めざらましを

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日本アカデミー賞に関する天国と地獄


日本アカデミー賞授与式前後、個人的に本当にいろんなことがあった。

地獄その1 チケットを取り逃す

忘れもしない2月4日(水)午前10:00日本アカデミー賞授与式のチケットの一般発売日時であった。私は前々からスケジュール帳に記載し、チケットを自力で手に入れる気満々だった。たとえ1枚4万円もするチケットだとしても。ところが前日の2月3日、2泊3日の京都旅行から帰ってきたのが夜23:00頃であり、そこから寝る支度をするもなかなか寝付けず、結局眠りに入ったのが翌朝の午前4:00であった。チケット発売まであと6時間。普通なら充分睡眠時間は取れると考えるはずである。しかし京都旅行中、母に早朝から寺巡りに付き合わされていた私は疲労のピークに達していた。午前9:30アラームが鳴った。寝る前に設定しておいたのである。ちゃんと目は覚めた。しかし身体は起きようとしなかった。しばらく葛藤した。起きるか、諦めて寝るか。ふと起きてからやるべき行動を考えてみた。PCの電源をつけ、チケットぴあのサイトに行き、時間が来るまで待機。しかしこの貴重な睡眠時間を削ってもチケットが取れないということも大いにありえる。というか多分取れない。そうだ、きっと取れない。取れる訳が無い。私は二度寝した。もし仮に10:00までに起きられたらその時はチケットを取りに行こうと誓って寝た。次に起きたのは10:30だった。もうチケットは完売しているに決まっている。どんな人がチケットを手にしたのだろう。Twitter内でアカデミー賞 チケット】と検索してみた。知り合いだらけだった。自分のタイムラインに戻ってみると、先ほど見た画面と変わりなかった。泣いた。もう一度寝た。次に起きたのは午後2:00だった。

地獄その2 リアタイできないフラグが立つ

チケットに関する傷がまだ癒えない頃、サークルで仲のいい友達から旅行について話し合いたいと言われた。なかなか予定が合わなかったので私抜きで決めてもらうことになった。決まったものをLINEで送ってもらっていたのだが、帰りのバスの予定が2月27日(金)17:15発~23:00着となっているのを見て絶望した。アカデミー賞ともろかぶりである。なぜ今までその可能性を危惧しなかったのか自分に腹が立った。しかしバスは予約してしまったのでもう取り消しがきかないしLINEでは友達が私の気持ちも知らず旅行楽しみだね\( 'ω')/などと盛り上がっている。全て決めてもらったくせに今更その日はアカデミー賞が…だの自担の晴れ舞台だから…などという言い訳が通るわけがない。私は自担の晴れ舞台より友情を優先することにした。

天国その1 リアタイできるフラグが立つ

アカデミー賞がリアタイできないことを憂えずにはいられなかった中、改めてバスの詳細を見てみたらプライベートモニター付と書いてあった。プライベートモニター…?ということはテレビ見れたりする?と、友達に問いかけてみたところ、見れるんじゃない?という答えが返ってきて、私の中でリアタイできないフラグから一気にリアタイできるフラグに取り変わった。突然旅行が待ち遠しくなった。リアタイできるならどこでも良かったのである。

天国その2 アカデミー賞当日、たまたま蜩の記のロケ地を見つける

時が流れて2月26日、私達は仙台へ向かった。その日は市街をぶらつくだけで終わった。翌日2月27日、電車で松島へ向かった。友達が予約してくれていた遊覧船で周辺を1時間かけてゆっくり回ったあと、昼食を探して歩いていた。瑞厳寺という伊達政宗縁の地を見つけたがなかなか広く回るのに時間がかかるということで泣く泣く断念し、その隣にあった円通院という小さなお寺を訪れることになった。正直私は歴史とかお寺とか全くもって興味がないので(自担がかなりの歴史マニアにも関わらず)、一刻も早く昼食にありつきたかった。が、入口に蜩の記のポスターと、その横に書かれた当院で撮影しましたの文字を見つけ、一気に気持ちが昂った。友達にどんだけ岡田准一好きなんだよとつっこまれてもお構いなしだった。とにかく院内のものを、蜩の記の面影を、一つ残らず激写するのに必死だった。ガイドのおじさんの話なんかそっちのけで。一緒に回った北大生のお兄様方も多分引いていた。ガイドのおじさんは蜩の記で使われたという本殿の前でこんな素敵なことを言ってくれた。今日ね、夜9:00からアカデミー賞あります。岡田准一、ここで撮った蜩の記で助演男優賞、永遠の0主演男優賞、候補に上がってます。どっちかは確実に取るよ、これ。

地獄その3 プライベートモニターが使えなかった

円通院の後、おいしい蠣料理も堪能し、お土産もたくさん買ってお腹も気分も満たされたままバスに乗った。アカデミー賞まで時間があったのでしばらく寝ることにした。どこかのSAで停車した時、目が覚めた。急いでテレビをつけるとドラえもんがやっていたのでまだ19:00台だということがわかった。プライベートモニターにはテレビ1、テレビ2、テレビ3というボタンがあった。ドラえもんがやっていたのはテレビ2であり、テレビ朝日系列のチャンネルである。テレビ3はTBS系列のようだった。残るはテレビ1であるが、何度押しても電波が弱いため受信できませんと表示されるのみである。21:00ギリギリまで粘ったが、やはり同じ反応である。仕方ない、最終手段ワンセグを使うしかない。しかし残りの充電は40%を切っていた。通常のスマートフォンなら充分2時間もつのかもしれない。しかし私のスマートフォンは普通じゃない。極度のスマホ(カス+スマホ)である。おそらく30分もたない。そんなことを思いながらチャンネルを日テレに合わせてみる。が、つかない。ここは一体どこなんだ。とりあえず茨城のチャンネルに合わせてみる。つかない。こうなったら電池をかなり消耗するのを覚悟して現在地から探すしかない。どうやらまだ栃木だったらしい。そしてなんとか日テレにつながったはいいが、トンネルを出たり入ったりしているらしく、画面が頻繁に止まる。結局入場の場面はほとんど見れなかった。奇跡的に助演男優賞の発表は見ることができ、バスの中ということもあり小さくガッツポーズだけしておいた。そのあと新人賞の発表に入ったが、電池がもったいないので一度止めた。電池残量が10%を切っていて、主演男優賞の発表はもう無理だと諦め、思いの丈をTwitterにぶつけることにした。そこでちょうど電池が切れた。スマホの電池が切れた今、私にできるのはテレビ1が日テレ系列であることを信じて、電波を受信するのを待つのみである。ポータブルの充電器を持ってくればこんなことにはならなかっただろうに。プライベートモニターを信用しきった私が甘かった。その後、スカイツリーが見える地点になっても一向にテレビ1が電波を受信する様子はなく、結局私は最優秀主演男優賞の発表を見れずに終わった。さらにカスマホの電池切れに伴い、ネットすら見ることができず、誰が受け取ったかという情報すら得られないまま帰宅するハメになった。

地獄その4 帰宅した瞬間姉にネタバレされる

帰宅したのは日を跨いでからだった。早速録画を再生しようとテレビの電源をつけた瞬間、背後から岡田准一、W受賞だってよとの声が。嬉しいやら(ネタバレされて)悔しいやらで訳が分からなくなり、知ってる。と涙ながらの嘘をつくしかなかった。

天国その3 録画を見てW受賞を改めて実感

助演男優賞の時の涙とコメントを聞きながら気づいたことがある。SPのオールアップの時、官兵衛のオールアップの時、そして今回。私が見たことがある彼の涙はまだこれしかないけどそのどれもが仲間を想っての涙なんだと。滅多に泣かない人の涙にこそ価値があるとはまさにこのことだろう。リアタイしたかった。もっと言えば生で見たかった。4万円の価値全然あった。ありまくりだった。あの日(2月4日)起きれなかった自分を悔やんでも悔やみきれない。

地獄その5 嘔吐が止まらない

翌、2月28日は9:00から15:00までバイトだった。この時は睡眠時間が2時間にも関わらず、元気だった。ところがバイトのあと習い事に行ったあたりから胃から変な音が鳴るようになった。だんだん気分が悪くなり、早退して帰宅後まもなく眠りにつこうとしたが胃に違和感があって寝付けない。しばらくしてトイレへ駆け込み、またベッドへ戻り、またトイレへ駆け込みを繰り返した。地獄の数時間だった。ようやく落ち着いて眠れるようになった時にはもう夜が明けていた。

地獄その6 ウイルス性胃腸炎と診断される

散々吐き散らかした(言い方)翌日、日曜ではあったが母に無理を言ってやっている病院を探してもらい診てもらい、ウイルス性胃腸炎と診断された。帰ってきてからウイルス性胃腸炎について調べると、大人が発症する胃腸炎のウイルスはノロウイルスしか存在しないらしく(あくまで私調べ)、その感染経路は主に蠣、水、糞便とのことである。察しのいい方はもう気づいているだろうか。そう、私は松島へ行った際、蠣を食べた。もちろん生ではなくて焼いたものを頂いたのだが、そういえば思い返してみると友達が頼んでから数分後に頼んだはずなのに同時に出てきた。案の定一緒に食べた友達に安否を確認したところ、何言ってんの、大丈夫だけどわろたというなんとも大学生らしい適当な返事が返ってきた。小銭を持ち合わせていなくて友達に200円を借金してまで食べたのが間違いだった。もう二度とあんな目には会いたくない。皆さんもくれぐれも屋台の焼き蠣にはお気をつけ願いたい。


そんなこんなで今、絶賛休養中である。症状は初日が辛かっただけで今は嘘のように元気である。思い返してみると私はノロウイルスを抱えたまま蜩の記のロケ地、いわば聖地へ足を踏み入れ、ノロウイルスを抱えたまま自担のW受賞を見届けたということである。私が苦しんだことが少しでも岡田氏のW受賞につながっていたらと思い込むことでしかこの数々の地獄を晴らす方法を今は思いつかない。ただ、症状が起きたのがアカデミー賞の騒ぎが終わってからだったのは不幸中の幸いであった。しかしやはりこれから先この時期を迎える度にW受賞のことを思い出すと同時に私一人だけノロウイルスにかかったことも思い出さなけばならないかと思うと心が痛む。